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JOURNAL / イタリア20州旨いもの案内

パオロ・マッソブリオのイタリア20州旨いもの案内

vol.55 ヴァッレ・ダオスタ州ジェネピーリキュール生産者

Jun 24, 2021

(『Il Golosario』はパオロ・マッソブリオの作った造語ですが、この言葉はイタリア人なら一見して意味を理解し、口元に笑みを浮かべる人も多いでしょう。『Goloso』という食いしん坊とか食道楽の意味の言葉と、『dizionario(辞書)』、『glossario (用語集)』など言葉や情報を集めて一覧にしたもの示す語尾『−ario』を結んだものです。食いしん坊の為においしいものをそこらじゅうから集めてきたという少しユーモラスな雰囲気の伝わる言葉です。)

アルプスに咲く花の禁断のリキュール

夕食をすませた後に蒸溜酒を何か口にしながらちょっとした瞑想に浸る。アグリコール製法のラム酒やカルヴァドス、アルマニャック、いや偉大なウィスキーをちびちびやろう。人生の大きな快楽の一つとして葉巻も一緒にたしなむなら、もちろんそれも悪くない。

だが、ヴァッレ・ダオスタの優れたリキュール「ジェネピー(Génépy:アオスタ風表記ではeにアクセントがつく)」の楽しみ方は他とは違う。白銀の世界でスキーを一日楽しんだ後に友人と一杯。あるいは、ポレンタやフォンターナチーズをベースにした高カロリーなアオスタの郷土料理を胃袋におさめた後の食後酒として口にする。

アルプス特有のこのリキュールは香り高く、蜜にも似た味わいがあり、険しい岩肌に挑んだ登山家や狩猟家、山越えしてきた密輸業者なんかのことを独特の口調で語りだす。


アルプスに自生するヨモギ属のジェネピー(訳注:学名Artemisia umbelliformisやArtemisia Spicataなどで、ニガヨモギArtemisia absinthiumとは別)の花をアルコールに浸し、砂糖のシロップを加えたリキュールは、その名も「ジェネピー」。アルコール度数は30~42度とバリエーションがある。

アルプス山脈西部の標高2000メートルを超える高山で、岩にへばりつくように自生するこの花を採取することは、法律で厳しく禁じられている。今もジェネピーの花を盗む者はいるが、採取する花の量はたかが知れており、リキュールが作れてもせいぜいボトル3、4本分といったところだ。だから心を許した友人との食事の後にだけ、後ろめたさ半分、満足感半分といった妙な顔で大事そうに棚から出してくることになる。


標高1500メートル地点でジェネピーの花を栽培できるようになり、合法的な生産が可能になった今日でも、この「滋養強壮と消化に良いが、禁断の希少な酒」という観念は根強く残り、体を大きく動かした一日の終わりや豪勢な食事の後には、やっぱりこの一杯をふるまう習慣がある。

ピエモンテ州、そしてヴァッレ・ダオスタ州の人々が愛して止まないジェネピーリキュールを、生産者たちは大量生産を避け、伝統製法を厳格に重んじて生産しているが、この2州以外ではあまり知られていない。今日、ヴァッレ・ダオスタ州で最も重要なジェネピーリキュールの生産者と言えば、サン・ロック蒸溜所(Distilleria Saint Roch)の代表二コラ・ロッセェ(Nicola Rosset)だろう。70歳を過ぎた気さくな男だが、彼とその一家の歴史は語るに値する。




ルーツは、旅するグラッパの蒸溜職人

時代をかなり遡って話を始めることになるが許してほしい。君たちも知ってのとおり、イタリアではサクセスストーリーが過去に根差していることは往々にしてあるものだ。が、今回は時間だけではなく舞台もロンバルディア州ソンドリオ(Sondrio)県のスプルガ渓谷(Valle Spluga)に飛ぶ。

この渓谷のカンポドルチーノ(Campodolcino)地区では、古いユダヤ系のレーヴィ一族(いちぞく)が1600年代から、まるで錬金術師のごとき緻密さで蒸溜酒の生産に携わっていた。彼らは「グラパートゥ(grapat)」と呼ばれ、3世紀以上に渡り、ブドウの収穫からワイン醸造に至る時期、荷馬車に蒸溜器を積んで、ピエモンテ州やヴァッレ・ダオスタ州をあちらの渓谷こっちの谷と巡り、ブドウの搾りかすを蒸溜してグラッパを造り歩いた。彼らの多くは、仕事先で身の落ち着き場所を見つけると巡回を止めて蒸溜所を開いた。


そんな中の一人グリエルモ・レーヴィ(Guglielmo Levi)は1800年代末、アオスタのサントルソ地区(Sant’Orso)に蒸溜所を開いた。そしてヴァッレ・ダオスタのワイン醸造所からブドウかすを集めてきてグラッパ生産を始めた。グリエルモの娘ナタリーナ・レーヴィ(Natalina Levi)は、農業を営むチェーザレ・ロッセェ(Cesare Rosset)に嫁ぎ、「グラパートゥ」の伝統が農業経営者という定住型の生業と結びついた。1968年、うなぎ登りの注文に応えるべくナタリーナとチェーザレは、アオスタ市の郊外のクワルト(Quart)地区にサン・ロック蒸溜所を創設。現在は、彼らの息子である二コラ・ロッセェがサン・ロック社の代表を務める。


「私は祖父のグリエルモに連れられて蒸溜所に行くのが大好きでした。干し上がったブドウかすの香りが子供だった私の鼻腔をくすぐる。その香りはいつだって私の気持ちを高揚させるのです」

この「気持ちの高まり」は彼の中で、この地域の価値づくりを見据えた長期的ビジョンと強い意志に形を変えた。そして自分が信じるものを途中で手放すことなく、複数の企業を絡み合わせた経営をもこなせる人格に育て上げた。


「グラパートゥ」という母方の伝統を汲むサン・ロック蒸溜所が、「農業法人テロワール・ロッセェ( l’azienda agricola Terroir Rosset)」、つまり農業という父方の伝統と融合し、最高のワイン(中でも白ワイン「プティ・アルヴィーネ」と赤ワイン「コルナレン」はすばらしい!)を生産した後のブドウの搾りかすを用いてグラッパを、ジェネピーの花を栽培してジェネピーリキュールを、さらにはラズベリーを栽培してフルーツの蒸溜酒を生み出す。さらにはサフランも栽培し、ヨモギと合わせて独特の風味をもったアマーロを生産するようになった。

「職員数は15名。全員が青年たちで、冬の間は蒸溜作業に専念しますが夏場は農作業にあたります。季節労働者は雇っていません。職員に一年を通じて給与保証ができることもありますが、農作業から出発することで、蒸溜段階での質の違いをより理解できるからです」


二コラは一家の歴史の中で枝分かれした伝統を形を変えずに守ろうと、異なる3つの商標をそのまま使用して生産を続けることにした。サン・ロック(Saint Roch)は、蒸溜所の名前であると同時にジェネピーをはじめとするヨモギ類ベースのリキュールやその他のリキュール製品の商標。レーヴィ(Levi)のブランドでは、一品種のブドウの搾りかすのみを用いた高級グラッパシリーズとインフューズド・スピリッツ類を生産している。中でもロンドンジンはアルプスに自生するジュニパーのみを使用しており、複数の賞に輝いた。(事実、僕は普段からこのジンは何も足さずにそのまま味わうことにしている)。


さらに、アオスタ地域のジェネピー生産者として最も古い歴史をもつ企業、オットツ(Ottoz)社は、二コラにとって良き商売敵であると同時に尊敬を払い、長年コラボレーションを重ねてきた企業だった。そして最終的にサン・ロック社傘下に収まることになった際、オットツの名にロマンを感じて止まない彼はその社名を残し、同社が生産してきた製品をそのまま生産し続けることにした。


この3社で使用されるジェネピーの花は、いずれも標高1500~1700mの地域で霜よけ用マルチシートを用いて完全に自然農法で栽培されている。サン・ロックのジェネピーリキュール「ジェネピーIG(Génépy Ig)」は、ステンレス製タンクで6カ月間、水性アルコールにジェネピーを漬け込んだもの。よりデリケートな「ジェネピー・ブラン(Génépy Blanc)」はカクテルにも持ってこいだが、これはアルコールを入れた樽内にジェネピーの花を数カ月間吊るし、アルコールに直接触れさせることなく製造される。


どちらを口に含んでも、まるで夏場アルプスの渓流に飛び込んだ時のような爽快感に満たされる。





パオロ・マッソブリオ Paolo Massobrio
イタリアで30年に渡り農業経済、食分野のジャーナリストとして活躍。イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「ワイナリー」「オリーブオイル」「レストラン」を州別にまとめたベストセラーガイドブック『Il Golosario(イル・ゴロザリオ)』を1994年出版(2002年より毎年更新)。全国に50支部6000人の会員をもつ美食クラブ「クラブ・パピヨン」の設立者でもある。
http://www.ilgolosario.it





[Shop Data]
Soc. St. Roch SRL

Loc. Torrent de Maillod, 4
11020 Quart (AO)
https://www.saintroch.it/
mail:saintroch@saintroch.it
☎(+39)0165774111





『イル・ゴロザリオ』とは?

photograph by Masahiro Goda


イタリア全州の優れた「食材生産者」「食料品店」「オリーブオイル」「ワイナリー」を州別にまとめたガイドブック。1994年に創刊し、2002年からは毎年更新。全965ページに及ぶ2016年版では、第1部でイタリアの伝統食材の生産者1500軒を、サラミ/チーズ/肉/魚/青果/パン及び製粉/パスタ/米/ビネガー/瓶詰め加工品/ジャム/ハチミツ/菓子/チョコレート/コーヒーロースター/クラフトビール/リキュールの各カテゴリーに分類して記載。第2部では、1部で紹介した食材等を扱う食料品店を4300軒以上、第3部はオリーブオイル生産者約700軒、第4部ではワイン生産者約2700軒を掲載している。
数年前にはレストランのベスト・セレクション部門もあったが、現在では数が2000軒以上に達したため、単独で『il GattiMassobrio(イル・ガッティマッソブリオ)』という一冊のレストラン・ガイドとして発行するようになった。



(『Il Golosario』はパオロ・マッソブリオの作った造語ですが、この言葉はイタリア人なら一見して意味を理解し、口元に笑みを浮かべる人も多いでしょう。『Goloso』という食いしん坊とか食道楽の意味の言葉と、『dizionario(辞書)』、『glossario (用語集)』など言葉や情報を集めて一覧にしたもの示す語尾『−ario』を結んだものです。食いしん坊の為においしいものをそこらじゅうから集めてきたという少しユーモラスな雰囲気の伝わる言葉です。)







The Cuisine Pressの出発点である雑誌『料理通信』は、2006年に「Eating with creativity ~創造的に作り、創造的に食べる」をキャッチフレーズに誕生しました。
単に「おいしい、まずい」ではなく、「おいしさ」の向こうにあるもの。
料理人や生産者の仕事やクリエイティビティに光をあてることで、料理もワインもお菓子も、もっと深く味わえることを知ってほしいと8人でスタートした雑誌です。

この10年間、国内外の様々なシェフや生産者を取材する中で、私たちはイタリアの食の豊かさを実感するようになりました。
本当の豊かさとは、自分たちの足下にある食材や、それをおいしく食べる知恵、技術、文化を尊び、受け継いでいくこと。
そんな志を同じくする『イル・ゴロザリオ』と『料理通信』のコラボレーションの第一歩として、記事交換をそれぞれのWEBメディア、 ilgolosario.it と、TheCuisinePressでスタートすることになりました。

南北に長く、海に囲まれた狭い国土で、小規模生産者や料理人が志あるものづくりをしている。
イタリアと日本の共通点を見出しながら、食の多様性を発信していくことで、一人ひとりが自分の足下にある豊かさに気づけたら、という願いを込めてお届けします。





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