HOME 〉

PEOPLE / 料理人・パン職人・菓子職人

東京 「ワインマン ファクトリー」

井上裕一 Hirokazu Inoue

Nov 29, 2021

text by Sawako Kimijima / photographs by Ayumi Okubo

井上裕一シェフが営む目黒の人気イタリア料理店「アンティカ ブラチェリア ベッリターリア」と不動前のワインショップ「ワインマン ストア」は2021年5月、共に三田へ移転。“レストラン+ワインショップ+醸造所”の複合店「ワインマン ファクトリー」として新たなスタートを切った。都営三田駅から徒歩3分、ビジネスマンや学生でにぎわう昔ながらの飲食街のど真ん中でシェフ自らワインを仕込む。「国産シードルや日本ワインのポテンシャルを知って、自分でも造りたくなった」と動機はシンプルだが、その存在意義や可能性は大きい。

東京の真ん中で料理人がワインを仕込む意味。

2021年9月、井上裕一シェフのSNSの投稿には、連日、焦りが滲み出ていた。
ブドウが収穫のタイミングを迎えているのに、酒類製造免許が下りないせいだ。

8月24日 山形県高畑から「ブドウの準備は出来ている」とご報告が来たのに、ウチの免許がまだ来ない。まいったな。
8月31日 やっと進んだと思ったら、国税の施設確認の後に交付されるとのこと。まいったな。ブドウは育っている。
9月1日 来週に国税が調査に入り、早くて来週許可の予定。信じてよいのか、じゃなくてもブドウは育ってて。胃が痛いぜ。
9月6日 山形県高畑で1t摘みました。
9月12日 明後日にデラウェアが1t届くのに、どうなるのか。明日連絡ないと焦るな。
9月13日 取り急ぎ、明日の午後デビューできそうです。芝税務署で署長から手渡しされるようで。

そうして、9月14日、ブドウが到着。同日に免許が手渡されて、無事に仕込みに取りかかれたのだった。
5坪の醸造所に600リットルのステンレスタンク4基、200リットルのポリタンク5基。それだけで空間は目一杯である。タンク以外の機器は最小限に抑え、ほとんどの作業を手で行なう。1トンのブドウ全量も手除梗(じょこう)だ。目視で確認しながら、一粒一粒、良い実を選んで外していく。
「小さな醸造所だからできる丁寧な仕事を心がけたい」と井上シェフ。

9月15日 終わらん(笑)
9月16日 まだまだ除梗終わらず。

投稿にやや泣きが入るが、「お手伝いさん」を募集して乗り切った綱渡りの初仕込みの出来は上々。ワインの評判はすこぶる良い。
「フレッシュさが取り得の早飲みタイプです。熟成向きには造っていない」
ワインが食生活に根付いているイタリアでは、地元のワイナリーにポリタンク持参で買いに行く人も多いなど、ワインとの普段着の付き合いがある。日本でもその昔、味噌や醤油や日本酒などの醸造品は、地元の蔵元と同様の付き合い方をしていたはず。井上シェフはそんな距離感のワインを造りたい。寝かせて飲むワインもいいけれど、買ってすぐ飲む、今飲みたいから買いに行く、そんな付き合い方ができたらいいと考えた。


仕込みの期間は、ブドウの世話とレストランの仕込みや営業が重なって、ほぼ不眠不休。

ラインナップは、山形県産早摘みデラウェア、山形県産遅摘みデラウェア、山形県産スチューベン+ロザリオ+シャインマスカット、青森県産スチューベン。年明けにはシードルを仕込む予定だ。

瓶の発注、ラベルのデザイン、書類の提出・・・、やらなければいけないことは山のようにある。

王冠を覆うシールはワインマンのアイコンのデザイン。

初リリースのワインは、瓶詰めが終わるやいなや、店売りの分を残して早々に提供店・販売店へと旅立っていった。
「狭くて、置いておけないんです(笑)。ありがたいことに『扱いたい』と言ってくれる人たちがいる。この手のワインは瓶の中で発酵が続いて開栓にコツが要るなど扱いに注意が要るため、その点を理解してくれる人に託しています」


料理人の持てる能力を全開にすると・・・。

きっかけは、店のスタッフの間でシードルが流行ったことだった。ブルターニュのシードルに始まり、日本のワイナリーがシードルを造っていることを知り、やがて日本ワインに浸り、そのフレッシュな味わいの魅力に惹かれていった。
そこからはまっしぐら。秋田県横手市の農家からリンゴを仕入れ、東京・大泉学園の「東京ワイナリー」で研修を兼ねてシードルの仕込みにチャレンジし始めたのが2019年。その販売先として、同年8月、不動前に「ワインマン ストア」を開く。

「ワインマン ストア」は19年8月にオープンして21年5月には「ワインマン ファクトリー」に統合されたワインショップ。不動前での営業期間はたった2年に過ぎない。しかもその大半はコロナ禍にあった。しかし、コロナ禍にあって機能をフルに発揮したのもまた事実だ。記憶や記録に留めなければもったいない店だから、あえてここで詳しく記そう。

東急線不動前駅から徒歩1分、間口が狭くて細長い4.5坪の極小空間。片側の壁一面にワインや食材がずらりと並び、もう片側には角打ちカウンターとチーズのショーケース、冷凍庫、冷蔵庫が設えられていた。レストラン使いの業務用パスタや冷凍のソラ豆などが量り売りで少量ずつ購入できて、角打ちでは度々ワイン会も開かれた。それだけでも都市生活者にとってユースフルなのだが、井上シェフはコロナ禍に入っていっそう機能を増強していく。

冷凍庫には知り合いのシェフたち特製の品々――ピッツェリアのピッツァ、アランチーニ専門店のアランチーニ、ジェラテリアのジェラート――や「ベッリターリア」のラビオリなどが並び、さらにベッリターリアのお惣菜や自家製モッツァレッラチーズが用意された時もある。消毒液の量り売り、はたまた「23区内どこでもバイクで配達」までやっていたのである。4.5坪に投入された多機能ぶりは「これは都市生活者のキオスク、街場のキオスクだ!」と叫びたくなるほどだった。

コロナ禍で営業自粛を求められたレストランの多くが打つ手をもがれた中で、ワインマン ストアはまるで千手観音のようだった。井上シェフは「その時できることをやっただけ」と言うが、制約の中で、店の形態を超えて、料理人がそれまで蓄えてきた能力を全開させるとどうなるか、そのポテンシャルを垣間見せた。

ワインやシードルの醸造に本格的に取り組むにあたり、レストランとワインショップと醸造所を一カ所にまとめるという選択は、ワインマン ストアのなりたちから考えると、ごく自然なステップだろう。
「レストラン運営、ワイン造り、お酒や食材の販売、すべてを目の届く所に集めたかった。そのほうが家賃や経費の上でも採算が合う。それと、友人の堤亮輔シェフが昨秋立ち上げたイートインとショップとラボの複合店『リ・カーリカ ランド』に影響を受けた部分もあります。いろんな要素が混在しているスタイルは楽しいでしょう?」

コロナ禍を経て、これからの飲食店のあり方が問われているが、多機能化はそのひとつの答えでもある。何かが起きた時、どこかの機能は止めざるを得なくなっても別の機能は稼働し続けられるという意味でレジリエンスが高い。井上シェフの選択は時代性にも合致している。

カウンターメインのレストランスペース。1階に13席のレストラン(12坪)と醸造所(5坪)、2階がワインマン ストア(10坪)という構造だ。

レストランでは、井上シェフのスペシャリテの炭火焼やパスタが堪能できる。

2階にはアンティークの大きなテーブルが置かれ、樽生ワイン、生ハムやチーズの盛り合わせ、パスタや炭火焼などの料理も楽しめる。


ワインマン ストアには国内外の様々なワインが揃う。店では樽生をグラスで、家用にボトルを購入、というお客さんが多い。

祐天寺のジェラテリア「アクオリーナ」のジェラートなど、知り合いのシェフたちの特製品も並ぶ。

利用者の立場から言えば、多機能な店には立ち寄る理由が多くなる。一回当たりに使う金額は小さくても頻繁に足を運ぶことになる。井上シェフは「安否確認の役割を果たせたらいい」と言う。元気でいることを確認する場としての店という意味だ。近隣とのつながりが希薄と言われる東京で、しかも進行する高齢化社会にあって、コロナ禍を経験した私たちはその重要性が身に染みている。


ブドウを100%使い切る。

「山形のイエローマジックワイナリーの岩谷澄人さんに『ワイン造りに挑戦します』と告げたら、『はまるよ』と言われたんですね」。
タンクと向き合っていると、その言葉がよみがえるそうだ。
「生きものを育てている感覚なんです。泣いている子をなだめたり、裸で走って行ってしまった子を捕まえてパンツを履かせる、そんな感じ。発酵すると信じていても、本当に大丈夫だろうかってドキドキするし、発酵が始まれば、ちゃんと成長してくれってひたすら願う。仕込みの時はどうしたって“ブドウの成長を見守る会”になります(笑)」
井上さんには「ワインを造っている」という感覚があまりない。「ブドウが勝手にワインになっていく」という感覚だという。「料理は自分で味を決められるけれど、ワインは自分で味を決められない。勝手にでき上がってくるんです。まだまだ説明できないことが多すぎる。わかっているのは『僕はワインが造りたい』ってことだけかも」。

「いろんな人に助けられて、リリースに漕ぎ付けられた」と井上シェフ。

ワインに取り組み始めてから俄然、発酵に興味が湧いた。自家培養発酵種でパンを焼き、イワシの塩漬けは3カ月以上置いてから提供するようになった。ブドウの搾りかすに肉を漬け込んで焼くといった展開は料理人ならでは。
「ブドウの栽培には絶対に手を出しません。それは僕の関わる領域ではない。何度も畑へ足を運ぶ中で栽培のプロがいることを実感しているし、彼らの実りを僕が東京で活かせたらいいと思っている」

ブドウの搾りかすはブリュワリーに託してビールにする。
「イタリアのブリュワリーを訪ねた時に飲ませてもらったグレープエールがおいしくて。農家さんのブドウを無駄なく100%活かしていきます」

慶応仲通り商店街の路地の一角に立つ。

井上裕一(いのうえ・ひろかず)
イタリアに2年間滞在し、北部の街を中心に庶民的な店から星付きのリストランテまで多くの店で腕を磨く。帰国後、東京・品川のリストランテ「アロマクラシコ」で料理長を務め、2012年に「アンティカ ブラチェリア ベッリターリア」を独立開業。”ブラチェリア”とはイタリア語で炭火焼料理店の意味。2019年7月、不動前にワイン&食材店「ワインマン ストア」をオープン。2021年5月、それら2店を移転・統合する形で醸造所を併設した「ワインマン ファクトリー」を開く。



◎ワインマン ファクトリー
東京都港区芝5-20-22 1F-b

1F 「アンティカ ブラチェリア ベッリターリア」
☎03-6412-8251
17:30~23:00
土曜、祝日11:30~15:00 17:30~23:00、日曜11:30~15:00
月曜休

2F 「ワインマン ストア」
☎080-7373-4141
14:00~23:00
土曜、祝日11:30~23:00、日曜11:30~18:00
月曜休

Facebook:@ワインマン
Instagram:@wineman_factory

料理通信メールマガジン(無料)に登録しませんか?

食のプロや愛好家が求める国内外の食の世界の動き、プロの名作レシピ、スペシャルなイベント情報などをお届けします。