HOME 〉

PEOPLE / 食の世界のスペシャリスト

有賀薫さん (ありが・かおる)

スープ作家

Oct 25, 2021

text by Reiko Kakimoto / photographs by Masahiro Goda
「家庭料理」を今こそ、スクラップ&ビルド。

「このレシピは、私のために作られている」と感じた体験はこれまであるだろうか?

有賀薫さんがレシピ本『帰り遅いけどこんなスープなら作れそう』を出版した時、読者から「これは私のためのレシピだ」という声が続出したという。2018年に出版以来増刷が続き、同年9月には「レシピ本大賞」に入賞、累計部数は5万5000冊を超える。きら星のごとく現れた遅咲きのルーキー。ブレイクのキーワードは「共感力」だ。

15分で作る、癒やしのスープ

「料理好きのためのレシピも、アイデア勝負の簡単レシピも沢山ある。でも、食に興味はあるのに自宅では料理がなかなか作れない層に向けたレシピ本は、実は少ない」と有賀さんは言う。なぜ「作れない」のか。「実際の調理は買い物から始まるんですよね」。夜遅くまで残業して帰ると、近所のスーパーは閉まっている。帰宅途中にコンビニしかないことも多いだろう。

「最初に担当編集者さんから、ニンジンもジャガイモも一人暮らしでは持て余すし、洗ったり皮を剥くのも面倒だから使いたくないと言われ、うろたえました(笑)」。一人暮らしのキッチンの狭さ、食後に鍋を洗うしんどさ。逆に電子レンジへの抵抗感の低さ。でも、ジャンクな食生活には罪悪感がある・・・20~30代のリアルな生活の声だ。こうした声を集め、吸い上げた。

化学的な簡易だしは極力使わず、コンビニで買える食材で旨味を引き出し、平易な手順で完成させる。日々の生活の中で入手できる食材を使って、単なる「アイデア勝負の簡単スープ」とは違う、本物の味わいが得られるレシピは、多くの共感を呼んだ。優しく語りかけるように作られたレシピのスープは、ある種の癒しのようでもある。

「読者からは“罪悪感フリー”のスープだと言われました。スープを作ることで、カップラーメンなどジャンクなものを食べずにすむというだけでなく、“料理できない自分”という負い目からも解放されるというのです。まだ『(女なのに)料理していない』という価値観にも縛られている。現代的な食難民ですよね」


台所からの解放と、家事の再構築(フルモデルチェンジ)

スープ作家としてのキャリアはまだ短い。料理人のキャリアはなく、結婚・出産をしてからはフリーライターとして活動をしてきた。息子の朝ごはんにスープを作り、スープの写真をツイッターに投稿し始めたことが大きな転機になった。

毎日違うスープをSNSにアップし続けたところ、1カ月が過ぎた頃から徐々にフォロワー数が増えていった。今はツイッターをメインSNSにし、フェイスブックは1週間分のスープをまとめて投稿するなどの使い分けをする。スープへのコメントに丁寧なリプライをし、作ってみたと報告してくれたユーザーは必ずフォローするなど、積極的に交流を図る。発信する内容やレシピは、プロの料理人、書店員、ブロガーなどからも着目されている。

ウェブ上だけでなく、リアルな活動にも積極的だ。「スープ・ラボ」では塩や昆布、だしパックなど食材の比較考察、トマト関連商品の違い比べなどといった“実験教室”を定期的に行なった。「部活、好きなんです。自分一人で何かをするより、チームを作りたいという気持ちが強いです。増えた仲間、皆で考えて発信できるから」

今年(2019年)から、日本経済新聞社とウェブメディアnoteがコラボレーションしたオンラインサロン『Nサロン』で、「家庭料理の新デザイン」という講座を担当するなど、「人の暮らしと食」の関係を研究し、コミットすることを始めている。

今、スープの湯気の先に何が見えますか? 「これまで様々な人の話を聞いてきて、家事についての考えをフルモデルチェンジする必要があると感じています。今は男女が同じように働くようになった一方、家事はいまだ女性への期待値が高く、いわば『昭和の専業主婦モデル』を引きずっている。バリバリ働く人、プライベート重視の人、子育て真っ最中の家庭、一人暮らしの若い世代・・・家事との向き合い方はそれぞれ違います。多様性をキーワードに、各々が持つ食への動機などを話し合いながら、これからのキッチンや家事について考えたい」

家のリフォームを機に、リビングで座って調理ができるキッチンキャビネットを制作しているという。「IHヒーターと小さなシンク、食洗機がテーブルと一体化したものです。忙しく働いた後、台所に立つのがしんどいならば、台所のデザインも変えたっていい」

スープを発信ツールとしながら、ある時はレシピで、ある時はイベントや講義で、有賀さんは「これからの家庭料理のあり方」を発信しているように見える。料理研究家とは違うアプローチの活動は、独自の作家性と、世の中を変える熱量を帯びている。


(写真左)『帰り遅いけどこんなスープなら作れそう』(文響社)は、身近な食材で短時間で作れる具沢山のスープ集。『スープ・レッスン』(プレジデント社)はミニマムな材料で作るクリアな味わい。方向性は違うが、食べた後の心地よさは共通している。毎日のスープはデジカメで撮影し、iPhoneで投稿。
(写真右)レシピを作成する時になくてはならない計量スプーンとスケール。再現性を高めるため、野菜は何ミリ角に切るのが最適か、「塩ひとつまみ」は何グラムかまで、しっかり測る。

(写真左)息子が独立した今も、毎朝スープを作るのが習慣。最近のブームはスタンダードなスープ料理。ポトフやコンソメを、様々な昔のレシピを紐解いて作る。
(写真右)Nサロンの講座「家庭料理の新デザイン」で使う資料。サインペンで紙に書き出しつつ思考を整理する。これをスキャンしてパワポなどに落とし込み、議論の題材とする。

料理通信メールマガジン(無料)に登録しませんか?

食のプロや愛好家が求める国内外の食の世界の動き、プロの名作レシピ、スペシャルなイベント情報などをお届けします。