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PEOPLE / 食の世界のスペシャリスト

生涯現役シリーズ #10

83歳の郷土料理店主。「生活の中心は店にある」

東京・新橋「秩父」千島よし江(ちしま・よしえ)

Nov 01, 2021

text by Kasumi Matsuoka / photographs by Masashi Mitsui

世間では定年と言われる年齢をゆうに過ぎても元気に仕事を続けている食のプロたちを、全国に追うシリーズ「生涯現役」。超高齢化社会を豊かに生きるためのヒントを探ります。


千島よし江(ちしま・よしえ)
御歳83歳 1935年(昭和10年)5月5日生まれ
東京・新橋「秩父」

埼玉生まれ。学校を出た後、銀座の松坂屋に勤務。昭和35年に結婚し、夫が営む割烹「千嶋秩父(現:秩父)」に女将として入る。昭和46年、ニュー新橋ビルの開業に伴い、地下1階に姉妹店をオープン。20年前に、急性白血病で夫を亡くしてから、店を取り仕切るように。明るい人柄で、女将を慕って店を訪れるお客も多い。

(写真)「秩父」の女将、千島よし江さん。温かい笑顔で、日々客を迎える。大の裁縫好きで、リメイクもお手の物。この日の衣装も、昔の服にリメイクを施したオリジナル。


お客さんの面倒をしっかりみるのが接客の基本

この鹿刺し、きれいでしょ? 新鮮で臭みもなくて、ぷりっぷりよ。お客さんがよく頼むメニューの一つね。うちの看板メニューは、埼玉・秩父地方の郷土料理。猪やこんにゃく料理も人気よ。都内ではなかなか手に入らない秩父の地酒も出してます。

創業は、戦後間もない昭和28年。もともとは新橋の割烹だったの。ここはニュー新橋ビルができた時に、姉妹店としてオープンしました。20年前に亡くなった夫の実家が、秩父で牧場と肉屋をやってたから、いつでも新鮮な肉が手に入ったの。戦後、肉が食べられるところなんてそうそうなかったから、ずいぶん繁盛しましたよ。当時は配送もなかったから、肉は背負子(しょいこ)さんが、汽車で運んでくれてたの。ずっと、同じところから仕入れてるのよ。

今は本店の割烹は閉めて、ここだけ営業しています。割烹から始めた自負もあって、味は本物よ。うちには勤続35年と25年の板前が二人いるけど、確かな腕を持ってる。ちゃんとしたものを出すから、お客には霞が関の役人さんなんかも多いし、長く通ってくれてる常連さんがたくさんいます。

私はね、この店に来る前は銀座の松坂屋で働いてたの。その時分に夫と知り合って、昭和35年にお嫁に来ました。当時の新橋は、本当に活気があってね。キャバレーやバーに、芸能プロダクションもたくさんひしめいていて、とにかく華やかだったの。町には進駐軍もまだいて、夜もにぎやかに飲み歩いてる人が多かった。今みたいに高いビルができる前の方が、ずっと活気があったんです。あの頃は新橋にも人情があって、本当に良い町でした。

このビルの地下は、少し前まで、昔の新橋芸者が開いた店が多かったのよ。夕方6時くらいになると三味線の音があちこちから聞こえてきて、なんとも言えない風情があった。だけど跡取りがいない人が多くて、ほとんどが店を手放しちゃったのね。それでここ10年くらいで外国人がどっと増えて、すっかり雰囲気が変わっちゃったの。

名物「鹿の刺身」(¥1,650/税込)は、ショウガをたっぷり添えて。新鮮なジビエ肉を肴に、酒が進む。刺身も新鮮なものばかり。秩父地方の特産のしゃくし菜を使った「しゃくなげ漬け」も人気。


接客というのはね、お客さんに「おーい」と呼ばれて動くようじゃダメなのよ。お客の箸が曲がっていたら言われなくてもさりげなく直すし、グラスの飲み物が減っていたら、言われなくてもお代わりを聞く。お客さんの面倒をしっかりと見るというのが接客の基本でしょ? なのに今は、お客さんをほったらかしにしちゃう店が増えたわよね。本当に恥ずかしいと思うわ。

私はね、このビルの上に住んでるの。店も住まいも同じ建物にあるから、もうビル全体が自分のうちみたいなものなのよ。朝は8時前に起きて、朝ドラを見てゆっくりしてから、昼頃に店に降ります。週3日は、長年通ってる銀座のパーマ屋に行くの。食事は、近くにある馴染みの店に届けてもらうことが多いかな。自分の食事も、店で食べることが多いわね。店を終えてから片づけをして、自宅に上がるのが深夜0時くらい。住まいへは、ほとんど寝に帰るようなもので、生活の中心は店にあるの。このビルも建て替えの話が出てるけど、それは時代の流れだから、仕方ないわよね。その時が来たら考えるけど、それまでは笑顔で切り盛りしますよ。


毎日続けているもの「鹿刺し」

◎秩父
東京都港区新橋2-16-1
ニュー新橋ビル地下1F
☎03-3501-4824
14:30~23:00(土曜~22:00)
日曜休
JR新橋駅より徒歩2分
※新型コロナウイルス感染症の拡大防止のため要請に合わせて営業時間が変わります。

雑誌『料理通信』2019年4月号掲載)
※年齢等は取材時・掲載時点のものです

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